活字中毒、ビブロフィリア、IPAD
「営業のくせに」と言われますが、私は慢性活字中毒者です。
何か読んでいないと落ち着かず、人と会話をしているときでもどこかの文字を追っていたりします。その文字は、デジタルな媒体のものでなく、書籍、ポスターから看板まで、とにかく印刷業者の手になるものに限ります。
さて、その症状を自覚している人にとって、今回のテーマは常日頃思っていらっしゃる内容だと思います。
つまり、文字単体にこだわる「真性活字中毒」でない限り、PCのディスプレイでは読書にならない、たとえiPadで電子書籍が爆発的に売れても、書籍がなくなるところまではいかないだろうと、そういうことです。
この人種にとって、PCのディスプレイ(技術者が「テレビ」と呼ぶものから液晶、そして有機ELディスプレイまで)で字を読むことと、紙に印刷された文字を読むことはまったく別の行為なのです。
ビブロフィリアと呼ばれる、本そのものに異常なまでの愛着を抱く人たちはもちろん、中毒者にとって読書は「体験」なので、ディスプレイを通して得た知識とは違って、紙のうえの文字を読むことによって得られた知識こそ「ちょっとやそっとで忘れない」ものなのです。
これまでにも電子ブックリーダーはありましたが、市民権を得たという意味では、AmazonのKindleから始まってiPadに至る今の流行が電子書籍の新時代スタートと言って差し支えないと思います。
本をまるごとスキャンしてデジタル化するというサービスもヒットしていますね。
しかし、そちら一辺倒でなく、取り残された人たちのためのサービスもビジネスとしては捨て置けないものだと思います。
iPhone/iPadアプリケーションを作りながら、ふとそんなことを思いました。